ある客からの忘れられないひと言

その後、60歳になり、子どもが独立したのをきっかけに「素顔館」をオープンする。

「ここ(素顔館)は奥さんの実家なんです。開業医だった義父が診療所として使っていたスペースを使わせてもらっています」

家賃がかからないから、写真の撮影費用を抑えることができる。これは能津さんの大きな願いだった。

「価格はちょっといい外食の2回分かな。それくらいじゃないと、皆さん気軽に撮りに来てくれないと思ったんでね」

広告の仕事を比べると、桁が変わったと笑う能津さんだが、それ以上に大きな壁にぶつかる。

「まずお客が来ないんです。どこの写真館を見ても、七五三とかのおめでたい写真しか飾ってないじゃないですか。そもそも遺影を撮るということがタブーだったんです」

最近でこそ「終活」という言葉を前向きに捉えることが増えたが、オープンした当時は「遺影を撮ります」と営業をするたびギョッとされたという。遺影は葬式のときに飾られる。だから縁起でもない、ということだろう。

だが、遺影とは、故人なきあともずっと飾られるもの、という視点がそこには欠けている。死を考えたくはない。だが、せっかくだったらいいものを残したほうがいい。能津さんの情熱が理解され、口コミで客が来るようになるまで長い時間はかからなかった。

▲遺影は家族の宝物と語る能津さん

これまで5000人以上を撮影した能津さんにとって、特に忘れられない一人の客がいる。

「僕はいつも撮影するとき、“これが最後の一枚じゃない、また会いましょう”って必ず言うんだけど、そのお客さんはね“私はこれが最後。私の余命は半年なの”っていうからびっくりしちゃって」

人間というのは、いつ死ぬかわからない。だけど、自分は半年の命だと教えてもらって幸せだと、その女性は笑った。

「今やらなきゃいけないことをやるし。伝えたいことは全部伝えるんだって。これって幸せなことでしょう?っていうから、僕は涙が止まらなくなっちゃって」

客が仕事の意義を教えてくれたような気がしたし、生涯をかけ取り組むべきだという思いを強くした。それまではカメラマンと名乗っていた能津さんが、「写真家」と名乗るようになったのもこの頃だ。遺影写真は被写体のものであると同時に、自分の作品でもあると考えている。だから、いい顔を残したいと強く思う。

家族なら“もっといい表情”を引き出せる

カメラを構えると、ほとんどの客が緊張で固まってしまう。だから、能津さんはトークで表情をほぐしながら笑顔を引き出す。

出来上がった写真を見せると、ほとんどの人が笑顔の写真を選ぶ。そして、能津さんも笑顔の写真を勧める。みんなの記憶のなかに笑顔で残ってほしいし、いつの日か家族が遺影に向かって話しかけるときは、きっと笑顔のほうが互いに言いたいことも言えるのだろうから。

撮影中、短時間にたくさんシャッターを切る。ストロボの光と、その音で気分が高揚した客に非日常体験を提供する。エンタメとして捉えてほしいという気持ちもある。

「終わったあとは、みんな“あぁ楽しかった”と言ってくれます」

▲担当編集者も体験。優しい語りかけに思わず笑顔がこぼれた

とはいえ、このような恵まれた環境で撮影をするのは無理だと諦める必要はない。

「近くの写真館がない場合は、自分で撮ってもいいと思います。僕がいくら頑張っても家族にはかなわないから、きっとステキな笑顔になるでしょう」

撮影の際に大事なのは、縦位置(カメラを縦に構える)で、高い解像度で撮影すること。そして、トークで相手の心を開いて、しっかりと光が入る明るい場所を選ぶこと。

「趣味の話をしもいいでしょう。みんな自分が好きなことは雄弁に語れるし、そのときは本当にいい顔になる。写真で一番大事なのは目なんです。心から笑うとみんないい顔になります」

写真の出来上がりを見るとみんな驚く。自分ってこんな顔をしてるんだって。

「それはそうですよ。自分が本気で笑った顔なんて、みんな見たことがないんだから」

能津さんは遺影写真を10年ごとに撮影することを提案している。年齢に関係なく、人間はいつ死ぬかわからない。遺影を撮ることは、つまり生きていることを幸せに感じることなのかもしれない。遺影写真には残された人生を大切に生きてほしい。そんな能津さんのメッセージが込められているような気がした。

「撮影した10年後にまた撮り直してほしい。それは10年を元気に過ごせたということ。それって幸せなことでしょう」

(取材:キンマサタカ) 


素顔館
東京都中野区本町4-4-15
TEL:03-6659-5111
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