国家の命運を外国に委ねるな! 独立国としての「フリーダム(freedom)」を、外国と官僚に依存した戦後体制によって奪われている日本。国際情勢や国内の諸問題を通じて、真の「フリーダム(freedom)」とは何か? 『日本は誰と戦ったのか』(ベストセラーズ)で第1回日本再興大賞を受賞、第20回正論新風賞を受賞した江崎道朗氏が日本再建の道はどこにあるのかを示す!
米テロ専門家の警告
平成29(2017)年4月21日に続き、4月24日にも官邸はメールマガジンで、北朝鮮の弾道ミサイル発射を警戒し、国民に「身を守るためにとるべき行動」を確認するよう注意喚起しました。
敢えてメールでも発信したのは、政府がミサイル攻撃を受けた時の注意を呼び掛けていることを、マスコミが積極的に報じていないからです。東日本大震災の時、「想定外」をさんざん批判したマスコミですが、今回もマスコミの動きは鈍いと言わざるを得ません。
大事なことは、情報の周知と事前の対策です。
いざという時、どういう仕組みで政府や地方自治体などが対応するのか、知っているのと知らないのとでは、全く違ってきます。
戦後、憲法を守っていれば、戦争に巻き込まれず平和を維持できると思ってきました。しかし、憲法では、北朝鮮のミサイルを防げないことを政府も認めたのです。言い換えれば、外国から攻撃されることを前提に政府も地方自治体も、我々国民も予め準備に準備をしておかなければ、自分の身も家族も守れないことがはっきりしつつあるのです。
ここ数年、全国の神社や重要文化財などに油などの液体が撒かれ、汚損される事件が相次いでいます。
平成29(2017)年4月3日には、明治神宮の鳥居や門など4地点15カ所に油のような液体が散布されました。産経新聞などによれば、犯人は朝鮮族の中国籍の女2人で、油のような液体を散布した容疑で、既に日本から出国していた二人に逮捕状が出されました。
わざわざ高い飛行機代をかけて、なぜ神社に対する嫌がらせをしたのでしょうか。
元米軍のテロの専門家のCさんは、中東でテロ対策を担当していた経験を踏まえ、一連の神社に対する油被害事件は、本格的なテロの予行練習だと見なした方がいいと指摘しました。
神社に油を撒いて、それをどれくらいの時間で発見するか。監視カメラの性能はどの程度か。発見したとき、警察などはどのような捜査を行い、その後、どのような警備体制をとるか。
また、どの神社やお寺なら警察の人員がどれくらい動くか。一般の国民はその捜査にとれくらい協力的か。
そもそも寺社に対する油散布事件を治安当局は、どのように分析するのか。そのような観点から、日本の治安当局の体制と能力をチェックしているのだというのです。
このように寺社油被害散布事件の背後には、朝鮮有事といった事態を想定して各地で騒動を起こして治安当局の能力を調査すると共に、その能力を予め削っておこうという意図があるのかも知れないのです。
治安当局をくたくたにして注意散漫に追い込んでおけば、いざというとき重要インフラ施設に対するテロは容易になる、というわけです。後方攪乱工作を仕掛けることで相手国の戦力を分散させるというのは、昔から戦いの常道です。
しかも寺社油被害散布事件を単なる嫌がらせとして受け止めているとするならば、日本の治安当局は、相手のそうした悪意を理解できていないことになります。それは即ち、国際的なテロの手口について正確な知識を持ち合わせていないことにもなるのです。
寺社に対する油散布事件のすべてがそうした意図に基づいて実施されているとは思いません。単なる嫌がらせもあるかも知れませんが、明治神宮のケースのように、朝鮮族の中国人がわざわざ上海から沖縄経由でやってきて、油を撒いたのです。そこに明確な意図があると思った方がいいと思います。
「自分と家族は自分たちで守る」民間防衛の自覚をもつこと、「自分の地域は地方自治体と警察・消防と連携して守る」国民保護法を徹底すること、そして防衛費増加と自衛隊法の整備、そして憲法改正によって「自分の国は自分で守る」防衛態勢を拡充すること――このように家族、地域、国の三段階でいかに平和と安全を確保していくのかが問われる時代に入ったのです。
※本記事は、江崎道朗:著『フリーダム 国家の命運を外国に委ねるな』(展転社刊)より、一部を抜粋編集したものです。