「旅する料理人」として活動しているいる三上奈緒さん。『食材と人とのつながりが大事』。その志をモットーにさまざま地域を訪れ、その場で食材を使用しその場にいる人と一緒にご飯を作る。
ニュースクランチでは、三上さんが現在の活動に至るまでの海外での生活やそこでの経験、苦労の日々についてインタビューした。

「食べるのが好き」で栄養学の道へ
東京農業大学で栄養学を学んだ三上さんだが、もともとは料理や栄養の道に思い入れがあったわけではないという。
「進路を考えたとき、絵を書くのが好きだから美大がいいかなとか、人が考えていることに興味があるから心理学がいいかなと思っていたら、親が“あんた食べるの好きだから栄養学でもやってみれば”って言ってくれて。
たしかに食べるの好きだなと思い、栄養学科を探し始めました。だから正直、最初はそこまで熱意があって選んだわけではないんです」
そんななかで、徐々に興味を持ったのが公衆栄養学と臨床栄養学。食と健康と教育がキーワードになっていく。
「最初は病院で働きたいと思ったんですけど、それには管理栄養士の資格が必要だったんです。でも私の学科は1年間栄養士の実務経験がないと、国家試験が受けられません。どうしようかなと思ったんですけど、研究室の先生が“じゃあ学校で働くのはどう?”って提案してくれて。“学校は暦通りだから勉強する時間もあるし、受かってから病院に行ったらいいじゃない”って言ってくれたんです。食育も興味があったし子どもも好きだったので、これはいいかも、と」
働きながら無事に国家試験にも合格したが、新たなやりがいを見つけ、そのまま小学校の栄養士として働くことに。
しかし、「給食に使っている食材は誰が、どこで、どんな風に育てていて、というような私が本来子どもたちに伝えたかった話ができなかったんです。献立作成も発注も区が一括して行っていて、食材も私が選んで使用できるわけじゃなかったので。調理も委託給食会社さんが入っていましたから、私は現場監督です。
そんなこと知らない子どもたちは、私が料理していると思い、“三上先生、ありがとう!”って言ってくれるんですけど、私は作ってない、作っているのは調理さんなんだよって伝える度に、自分で作った料理を届けたいという気持ちが大きくなっていきました」と、栄養士を辞める決断をした。
退職後はカフェでのアルバイトや、友人の紹介で自らが作ったカレーをイベントで提供するように。初めて自分が作ったものを食べてもらった時のことは、今でも忘れられない思い出だそうだ。
「食べてくれた人が“奈緒ちゃんのカレーおいしいね”って言ってくれた時に、鳥肌が立ったんですよ。“私がやりたかったのはこれだ!”と思いました」
経験ゼロだけどフランスへ修行!
しかし、これまで「料理」について学んできたわけではなかったため、新たな壁にぶつかる。
「レシピを見ても、どれが正しいやり方で、どれが正しくないかがわからない。これはもう自分で勉強するしかないと思いました」
そして三上さんは27歳で単身、フランスに料理を学びに行くことを決意。経験ゼロ、フランス語もまったくわからなかったため、両親からも“あんた何考えてるの、日本でも料理は勉強できるでしょ”と反対されたそうだが、「スタートが遅いからこそ、人と違うことをしないと追いつけないと思って、フランスで学ぶことを決めました」という。とはいえ、経験もない三上さんには就職先のツテもなく、修業場所を見つけるだけでもひと苦労。
「日本人をフランスのレストランに斡旋する機関に相談をしたんです。だけど、“3年以上料理の経験がないとダメです”って断られたんですよ。それでもあきらめられなくて、そのあとも何回かメールを送ったんですけど、ついに返事が返ってこなくなっちゃって……。
そしたらちょうど、その期間にイベントに出店していることを知り、直接行って、“私はどうしても行きたいんです! もう27歳の私には今しかないんです!”って猛アピールをして、想いのあまり泣きましたね(笑)。
今思うとめちゃくちゃですけど、相手も、“もうわかったから”って正式に面談をしてくれ、晴れて渡仏メンバーに加えてもらいました。”やってみなさい”って。ただ、経験ゼロだったので、渡仏までの間に、日本のレストランで修行させてもらいました」
自らの手でチャンスをつかんだ三上さんは、「扉はこじ開けるものですね」と語る。
「一度、ダメって言われたら仕方ないって思うかもしれないけど、もしかしたらもう一度アタックしたらいけるかもしれないし、違うアプローチをすればチャンスがあるかもしれない。『できないことはない、とにかくやっちゃえ!』と思えるようになったのは、この経験からですね」
