最初は苦痛だったアメフラっシでの活動

3B juniorとして活動しているとき、市川優月はあえて「一歩引いていた」と語る。

「歌は下手だし、ダンスだって得意なわけじゃない。トークのときも勝手に『私はしゃべらない担当』って思ってましたからね(笑)。

だから『自分が目立ちたい』という思いはほとんどなかったです。それよりも『グループ全体が目立てばいい』って考え方ですよね。3B juniorは大人数ならではの迫力がパフォーマンスの特徴のひとつだったので、私はその迫力を出すための一員なんだ、と。みんなが前へ、前へだと成り立たないじゃないですか?」

たしかに3B juniorという大所帯では、そういう考え方もアリだったのかもしれない。

しかし、3B juniorは活動を終え、そのDNAを受け継ぐかたちでアメフラっシが始動すると、メンバーはいきなり26人から5人になった。劇的な変化、である。

「そうなると、ひとりひとりにスポットライトが当たる時間が増えるじゃないですか? いままでは途中でステージからハケても、誰にも気づかれないぐらいの感覚だったのに、アメフラっシになったら、別に私のことなんて興味がない人の視界にも入ってきちゃうんですよ。

正直、最初は苦痛でした。

歌割りが増えて嬉しかったんですけど、いざやってみたら、自分でも「うーん……」ってなっちゃいました。いままではやろうとしなかった「歌」の部分を任されたことで『私って、こんなにできないんだ……』って改めて思い知らされました。

人数が少ないから、どんなに下手でも私の声もグループの歌声の一部になるわけじゃないですか? そうなると『こんなに下手なのに、こんなにたくさん歌うってなんなんだろう』って考えちゃいますよね。

いままでは正直、一歩引くと言いながら「歌」というものから逃げてきましたけど、アメフラっシという少人数のグループでは、もう逃げたくても逃げられない。そういうところに来ちゃったんだなって思いました」