おはようございます、こんにちは、こんばんは。番組プロデューサーのTPこと高橋です。「TPコーポレーション東京X」という少し変わった名前の会社の社長をやらせてもらっています。
前回に引き続き、女性8人組ユニット「ショウガールズ」でお笑いに挑戦しながら、社長業務もこなしている野中美智子さんにインタビュー。社長になるまでの波乱万丈な半生を伺いました。

Instagram:@sg_nonamichi
右も左もわからず中3で単身上京
TP:野中さん自身について伺います。どんな経歴でここにいるんですか?
野中:小学校3年生から子役をやってました。
TP:そうだったんですね。
野中:その頃からずっとお芝居をしていて、その時期が一番売れてたんですよ。ドラマにも結構出させてもらって。名古屋だったんですけど、本当に舞台に明け暮れて、オーディションも受けまくって、ほとんど学校には行ってなかったです。演劇にのめり込みすぎて。
TP:いつ上京したんですか?
野中:中学3年のときに、もう名古屋にいても「やり切ったな」みたいに思って。
TP:(笑)売れ切った?
野中:なんか急に尖って「私、東京行くわ」って。
TP:大阪の芸人が一度大阪で売れてから東京に乗り込む、みたいな感じですね。
野中:そう。全然売れてもないくせにそう思っちゃって。「やるなら東京でしょ。行くなら1年でも早いほうがいいでしょ」って。
TP:はいはいはい。
野中:今思えば本当に親に感謝なんですけど、お母さんがすべてを許してくれて「行ってきなさい」と背中を押してくれました
役者・シンガー・アイドル、多くの肩書きを持った下積み時代
TP:上京してからは順調でしたか?
野中:全然ダメです。高校も退学しちゃって、だから私、中卒なんですよ。その頃はバイトしすぎて逆に好きなことができなくて。
TP:あー、芸能の道にありがちな「バイトのせいで本業がおろそかになる」やつですね。
野中:そう。女優になりたくてがむしゃらに頑張ってたけど、全然うまくいってなかった感じです。
TP:なるほどね。
野中:22歳ぐらいまで舞台に出まくって、そこから方向性を変えて音楽系の事務所に入ったりもしました。そこで歌にも挑戦して、アルバムを出したり、自分で作詞したり、色々やってました。
TP:アイドル路線じゃない?
野中:全くアイドルじゃなくて、シンガーです。
TP:へぇー。
野中:並行して、プロレスのリングアナウンサーも18歳からやってました。
TP:何種類の仕事やってるんですか!(笑)
野中:色々挑戦していたんですけど、当時は「二兎を追う者は一兎をも得ず」ってよく言われる時代で。
TP:あー、はいはいはい。ひとつの道を極めなさい、っていう時代ですね。
野中:「役者に100%向き合わないで売れるわけないだろ」って言われてました。
TP:つい最近までそんな風潮でしたよね。
野中:「うるせー」と思って、「MCができる役者」を自分のキャッチコピーにして頑張ったんです。そしたら色んなイベントに呼んでいただけるようになって。でも、そこでまた血迷ってアイドルグループに加入するんですよ。
TP:なんでだよ!(笑)
野中:案の定、そのアイドルグループはちょっとやっただけですぐ解散しちゃって。その後25歳の時。「私、社会を知らなさすぎる」って思ったんですよね。
TP:ずっとがむしゃらに芸能の道一本ですもんね。
