「弱くなっていく」と感じたときが一番つらい
試合に負けることより、チームが弱いことより、もっとしんどいことがある。
それは「これから弱くなっていくんだろうな」と感じる瞬間だ。
だから日本ハムファンとして本当に辛かったのは、2018〜2022年頃。大谷翔平が海を渡り、中田翔や西川遥輝ら2016年日本一のメンバーが、年齢や怪我の影響で少しずつ成績を落としていった。
未来に希望が見えなかった。
その頃に比べれば、2022年に新庄さんが監督になり負けまくっていた頃のほうが、よほど楽しかった。本当に弱かったけど「あとは上がっていくだけ」と思えたからだ。これは人生も同じ。上り坂にいるときが、いちばん楽しい。
今シーズン、そんなチームを率いた新庄監督。賛否はあるけれど、僕は心から尊敬している。
2004年、新庄さんが選手として日本ハムに移籍した初年度、チームは3位となって初めてプレーオフに進出した。「もういくつ勝つと日本一」と思えたことが、ただただ嬉しかった。
2006年、新庄さんはシーズン序盤の4月に「日本一になって引退する」と宣言。この発言を本気で信じて「日本一になるんだ!」と思った人はほとんどいなかったと思う。僕も「日本ハムが優勝できるわけない」と思っていた。
でも、有言実行。本当に日本一になって新庄さんは引退した。
巨人ファンばかりだった北海道を虜にし、球団を“北海道のチーム”に変えた。
2020年、「もう一度プロ野球選手になる」と宣言してトライアウトを受けた。誰もが「なれるわけない」と言っていた。結果的にプロ入りの夢は叶わなかったが、放ったタイムリーヒットは、彼の生き様そのものだった。
2022年、新庄さんは「BIGBOSS」として監督に復帰した。「3年で優勝する」と宣言した。世間は笑っていたし、2022年・2023年は大方の予想通り最下位。奇抜な発言や采配は批判の的となった。
それでも2024年、チームは大躍進。優勝が狙える位置でシーズンを戦い抜いた。「新庄さんのことだから、絶対優勝して辞めるんだろうな」と思っていた。でも結果は2位。大躍進ではあったが、2006年のようなドラマは起きなかった。
2025年、“キリの悪い”4年目に突入した今年も2位。それでも、思い通りにいかない現実を受け入れて前に進む新庄さんの人間味ある姿に、僕は胸を打たれた。それこそが人生だ。僕はてっきり当初の宣言どおり3年で辞めると思っていた。その往生際の悪さは、これまでの新庄さんからすると少し人間味があって、言い方は悪いがちょっとだけカッコ悪かった。ただこれもまた、こんなことを言い始めたらなんでもアリだが、僕は「カッコ悪くて、カッコいいな」と思った。もうただの大ファン。
負けても、上り坂でいたい
新庄さんが植え付けた「できっこないをやる」という精神は、日本ハムに深く根付いている。
2012年、栗山英樹さんが監督に就任したときも「現役時代の成績が大したことない解説者に監督が務まるわけない」と言われていた。
2013年、大谷翔平が二刀流に挑戦するときも、みんな「常識的に考えて無理」と言っていた。
結果はご存じの通り。栗山監督はWBC日本代表を率いて“世界一の監督”に。大谷翔平は“世界一の選手”になった。
だから日本ハムファンは、他のチームのファンよりも「できるわけない」と言われたとき、「できるかもしれない」と思える。そのワクワクが、何にも代えがたい。
もちろん、「できっこない」をやろうとして、本当にできなかったこともある。
ソフトボール選手を獲得してみたり、菅野智之や長野久義をドラフトで指名して断られたり。
でも、それでいい。挑戦して、笑われて、また挑戦する。そんな日本ハムが、大好きだ。
おわりに
シーズンが終わって、ようやく仕事が手につくようになった。これは会社にとっては良いことだ。なんなら僕はKBC(九州朝日放送)の番組を2本も担当しているので、本来的には福岡ソフトバンクホークスを応援しなければならない。……頑張れホークス!
思えば、僕が会社を辞めて独立したのも、新庄さんが監督になった2022年だった。僕が社長なんて「できるわけない」と言われていた。
だから、どうしても重ねてしまう。
まわりに何と言われようと、信じた道を努力して突き進むこと。
勝っても負けても「上り坂かどうか」を気にすること。
それを教えてくれたのが、ファイターズだった。
できっこないをやらなくちゃ。I wanna be a 日本一!!
次回の『TP社長日記』は、2025年11月6日(木)更新予定です。お楽しみに!!
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高橋 雄作