指示待ち官僚たちが起こした悲劇

2020年1月16日、匿名の微博アカウントによって、武漢同済医院では廊下にまで肺炎患者が寝かされている、といった怪情報がネット上に流れました。このアカウントは間もなく削除されましたが、多くのネットユーザーたちは、やはり情報隠蔽があるのではないかと疑心暗鬼になりました。

実際のところ、この段階で武漢では医療崩壊が始まっていました。人から人への感染も12月中旬には、現場の医師たちはその可能性に気づいていました。ですが、武漢市当局は1月19日まで、人から人への感染の「証拠はない」と突っぱねていました。

現場のこうした混乱は、武漢市の市長や書記、そして湖北省の書記も含めて地方の指導者たちが習近平の顔色ばかりを窺うヒラメ官僚であったからでしょう。

また、習近平自身、自分が指揮をとり、配置するという方針を打ち出していました。ですから何をするにしても習近平のゴーサインが必要なのです。なのに、現場の状況を正確に把握できていなかった習近平は、この武漢が混乱の極みにあった1月17日から21日の間、北京にはいませんでした。

習近平は17日・18日に中国の国家主席として、19年ぶりにミャンマーを公式訪問し、「一帯一路戦略」にとって重要な中国・ミャンマー経済回廊建設に関わる協力協定に調印していたのです。

▲第1回一帯一路国際協力サミットフォーラムに出席した各国首脳

「中国・ミャンマー経済回廊」は、中国がインド洋に出るルートを確保するための安全保障上の重要なプロジェクトです。「一帯一路戦略上、これほど重要なプロジェクトはない」と習近平はコメントしています。

ミャンマー西部のチャオピューに港湾を建設し、雲南省昆明と高速道路・鉄道でつなぎ、これによりマラッカ海峡封鎖にあっても原油輸入シーレーンを確保できるのです。この回廊の起点は雲南省です。なので、18日にミャンマー訪問を終えると、習近平はその足で雲南に視察に行きました。北京に帰ってきたのは実は21日なのです。

▲第7代国務院総理(首相)・李克強

遅すぎた武漢の都市封鎖

この間、習近平の留守を預かっていたのは首相の李克強(り こっきょう)です。李克強は疾病予防コントロールセンターの警告を深刻に受け止めて、2003年のSARS対策で功績を上げた感染症の権威・鐘南山(しょう なんざん)をリーダーとした専門家チームを武漢に派遣します。 

鐘南山は19日に武漢入りし、院内感染が発生し医療崩壊に陥っていた協和病院などを視察、すでに人から人への感染が起き、事態が深刻なレベルであることをすぐに察知して中央に報告、李克強経由で雲南にいる習近平に説明がなされ、李克強が習近平の名のもとに国務院聯合防止聯合コントロールメカニズムを招集して、この武漢コロナウイルス肺炎感染の拡大防止徹底を指示、情報隠蔽に対しては厳罰に処すと発表しました。

▲感染症の権威・鐘南山

これに合わせて中国メディアも「感染の隠蔽は千古の罪にあたる」と報道。すると広東・上海・北京で続々と感染者確認の情報が上がってきました。普通に考えれば、すでに感染の広がりは地方当局レベルでは確認されていたはずなのですが、皆、習近平を忖度して情報を上げられなかったのです。

そして23日午前10時を境に、武漢の都市封鎖という思い切った対策をとります。その後、都市封鎖は全国85都市以上に広がり2億5000万人の移動が制限されるのでした。

中国の初動の動きを見てみると、この新型コロナウイルスへの対応の最大のミスを犯したのは習近平です。国内の新型コロナウイルスの状況を正確に把握できず、春節への影響をまず懸念したこと、自ら指揮権をアピールしながら、重要な時期に外遊や地方視察を優先させて不在であったこと。

次に地方のトップの判断ミスです。中央の指示を待つことに慣れきって、政治日程を優先させて、必要な予防コントロール措置をとらなかったこと。危機を告発した医師らをデマ拡散者としてその言論を封じ込め、現場の危機感をきちんと汲み取ろうとしなかったこと。

ですが、この地方政府トップの不作為も、そういう中央の指示待ちの“ヒラメ官僚”ばかりを出世させてきた習近平の責任といえるでしょう。