谷津が体感した全日本プロレスの「プロレス」
83年には、アメリカで大人気だったテレビドラマ『SHOGUN(将軍)』で、三船敏郎が演じていた吉井虎長にあやかったトラ・ヤツを名乗って、テキサス州ダラスを拠点にするフリッツ・フォン・エリック主宰の『ワールド・クラス・チャンピオンシップ・レスリング』に転戦。
同年2月7日にテキサス州フォートワースでカブキに勝ってワールド・クラスTV王者になった。同年6月17日、ダラスのリユニオン・アリーナのビッグマッチに出場した際には、遠征に来ていた馬場、鶴田、天龍とも会っている。
「フロリダでは桜田(一男=ケンドー・ナガサキ)さん、渕さんと一緒だったし、マツダさんとルイジアナにいた時にカブキさんに誘ってもらってダラスに行って。カブキさんと組んでいたマジック・ドラゴン……ハル(薗田)ちゃんとはリング上では敵でもよく遊んだなあ。全日本の人たちはみんないい人たちなんですよ、苦労してるから。だから全日本に上がる分には、全然違和感はなかったな。馬場さんにもダラスで会ってるから、全日本に上がることになって挨拶したら“おお、お前か”って感じで。まさか2年も経たないうちにお世話になるとは思わなかったよね(苦笑)」<谷津>
ダラスで馬場、鶴田、天龍と会った時には、馬場の計らいで高級ホテルに鶴田とツインルームに泊めさせてもらったという。
「あの時はジャンボと朝までしゃべっていたんだけど“猪木さんとはやりたくないな。たぶん、猪木さんとやっても長い試合はできないと思うし、噛み合わないでしょう”みたいなことを言っていた。あとは“プロレスラーはひたち〔相撲用語で見栄っ張りのこと〕が多いけど、谷津ちゃんは自分のペースで行ったほうがいいよ”とか“ひたちにならないでちゃんと金を残しなよ。年老いたらおしまいなんだから”って教えてもらった。結局、俺はジャンボが言っていたことを守れなかったけど、彼の言っていたことは間違いじゃなかったなと思うよ」と、谷津は思い出を語る。
全日本の選手たちに親近感を持っていた谷津は、全日本スタイルのプロレスをどう感じていたのだろうか?
「やっぱり新日本のプロレスは通じないよ。スタイルが違うって言ってしまえば、それまでなんだけど、全日本のプロレスは新日本ほど単純じゃないんですよ。全日本は組み立て方が何パターンもあるじゃないですか。面倒くせぇなとも思ったけど、全日本の試合のほうが本当のプロレスだと思ったね。新日本はパパパッて終わっちゃうから、何も考えることがないんだけど、全日本は客席の隅々までを考えてじっくりと見せるプロレスだからさ。あとはジャパンより全日本の連中のほうが大きかったっていうのもあるよね。やっぱり大きいっていうのは最大の武器だよな。連中の動きはゆったりして遅く見えるんだけど、ひとつひとつの技が重いの。で、実際は動き回っている小さいほうが体力を消耗しているから」<谷津>