ドイツに「アーネム作戦」阻止の情報を渡す

ロンドンの英国立公文書館に所蔵される、ガイ・リデル英情報局保安部(MI5)副長官の1945年7月2日の日記では、こう記されています。

「ストックホルムで暗躍したドイツのカール・ハインツ・クレーマーが、(ドイツ降伏後、2カ月して)秘密情報の交換のため日本の陸軍武官、オノデラと取り引きをしていたことを認めた。

オノデラ情報は、イギリス軍の配備やフランス陸軍、空軍の配置、イギリスの航空機産業、極東の英米空挺部隊の配置、ソ連の暗号表、アメリカにおける原材料の所在地などに関する戦略的かつ戦術的なものだった。オノデラ情報は、クレーマー情報よりも価値があると考え、ドイツが気前よく報酬を支払ったのだ」

小野寺は、1944年8月以降、クレーマーと情報交換を始めます。ノルマンディー上陸作戦から3カ月後の1944年9月、ドイツの首都ベルリンを目指しながら補給路を伸ばし切り、進撃を停滞させていた連合軍は、オランダ南東ヘルダーラント州アーネムを舞台に、オランダをドイツ軍から奪還しようと試みました。

すなわち、ライン川にかかる5つの橋を占拠すべく、5000機の戦闘機と3万人の空挺部隊を投入した史上最大の空挺作戦「アーネム作戦(マーケット・ガーデン作戦)」を決行したのです。

▲映画『遠すぎた橋』(20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン)

映画『遠すぎた橋』の題材になったことでも有名な作戦ですが、これはドイツの徹底抗戦で失敗に終わりました。英国立公文書館に所蔵されている供述調書(KV2/144-157)によると、3日前に「アーネム作戦」の情報を得て、ドイツの参謀本部に伝えて一矢報いたのだと、クレーマーは尋問に答えています。

MI6は「アーネム作戦」の阻止につながる情報を入手したクレーマーの諜報を「唯一の大成功だった」と評価しました。しかし、クレーマーは戦後、その情報源が実は小野寺とハンガリー人のジョセフ・フィリップだったことを連合軍の尋問で明かしています。

▲「アーネム作戦」3日前に小野寺から情報を得たとするクレーマーの供述調書(英国立公文書館所蔵)

第一級の情報士官として連合国がマーク

MI5は、安全を脅かす危険人物を調査して個人ファイル(KV2)にまとめています。クレーマーに対しては14冊のファイルを作りました。しかし、リデル副長官は、クレーマーより小野寺情報のほうが「価値があった」と評しています。

リデルの日記に登場する日本の陸軍武官は小野寺だけです。また、小野寺のファイル(KV2/243)はありますが、対ソ諜報第一人者としてベルリンで大戦初期に暗躍した、陸軍中野学校初代校長の秋草俊や、スイスで終戦工作を行った岡本清福中将ら、ほかの日本武官のファイルはありません。

英国立公文書所蔵の公文書は、インテリジェンス大国のイギリスが、小野寺のことを「国際基準」で第一級の情報士官と認めて、徹底マークしていたことを物語っています。

大戦末期の欧州で、日本とドイツ、ハンガリーが緊密な諜報協力を展開し、1943年8月に少将に昇進した小野寺の階級が最も上だったため、連合国は彼を「枢軸情報機関の機関長」として警戒したのです。