内蔵をさらけ出しながらラジオをやるかもしれないな

――番組が始まって今年の4月で16年目になるんですけど、番組についてスタッフに意見したりとか、こうしていこう、みたいなのはお話したりされるんですか?

大竹 (横にいるマネージャーさんに)俺、してますかね?(笑)。

マネージャー 始まった頃は少し言ったことがあったかもしれないですけど、最近はないですね。

大竹 だ、そうです(笑)。でも、そうだね、スタッフさんにお任せしてますね。昔はもしかしたら、ちょっとウザがられていたかもしれない(笑)。

 

――大竹さんといえば、人力舎の社長だった玉川さんとのエピソードがすごく好きで。

大竹 うん、玉さんね。

――せっかく大きなチャンスだと思っていた生放送のMCで、大竹さんがご自身のミスでパニックになって倒れて、でも玉川さんは全然怒らなかったし、帰り道に鰻をごちそうしてくれた。絶対クビだと思ってたら、その番組から次の週の台本が届いたって話が好きなんです。

大竹 そうそう、生放送で倒れても仕事が来るなら、もう考えたり、取り繕おうとするのをやめようと思ったんだよね。それまでは、どんなアドリブが来ても対応しようとして、台本は書き込みの文字でいっぱいだったんだけど、もうやめたね。ラジオもそれに近いかもしれない。まあ、だからオープニング、あまり面白くない話するときもあるんだけど(笑)。

――いえいえ、とんでもない!(笑)

大竹 (笑)。でも、芸人周りだと“エピソードを盛る”ってよく言うけど、近頃それはしなくなったかな。俺が経験したその通りに喋って、リスナーにも“大笑いしてもらわなくても”って思ってるね。この前もね、車で信号待ちしてたら、横におじさんがいて、タンポポをフッて吹いたら、開けてた窓から俺の車の中にタンポポの綿毛が入ってきて、格闘したって話をしたのね。

――(笑)されてましたね。

大竹 あれもね、盛ろうと思えば「1年経てば車の中、タンポポで一杯になるかもね」って、妻が言ったとか付け加えられるけど、“こいつ、盛ったな”って思われるのがイヤなんだよね。この前も薬を飲みたくなくて、鉢の横に隠して怒られたって話をしたけど、それだっていくらでも話を盛れる。それこそ、若い頃は芸人同士そういう盛り合戦みたいになったけど、それも疲れちゃって。最近はなるべく事実に近い話を楽しむようになったかもしれないね。

――2018年には腰痛がひどくなり、座ることもままならなくなって、スタジオに布団を敷いて放送されたりもしていましたよね。月曜日から金曜日の帯を16年やるということは、気力も体力もかなり奪われる仕事だと思うのですが、辞めたくなったことはないんですか?

大竹 若い頃はね、「この仕事はイヤだよ」とか生意気を言ったこともあったと思う。でも、この歳になってくると、さっき話に出た玉さんが言っていた「芸人は行く先々の水に合わねば」って言葉を思い出すんだよね。例えば、ドサ回りと言うと言葉は悪いけど、北海道へ営業に行って、お姉ちゃんにチヤホヤされて、それでヤクザに脅かされて、そうやって生きてる芸人さんもいるんだよね。それがその人の王道なわけだよ。

で、俺はとても大事にしてるシティボーイズとしての舞台、そして身過ぎ世過ぎ、つまり生計を立てるためのテレビの仕事とかをしてる。時々お芝居の話も来るけど「大竹さん、こういう役で、セリフ少ないんですけど」って言われても、「はいはい」って受けるのね。たけしさんの映画に出たときにも「悪い、大竹。セリフ全然ないけど」って謝られたこともあったけど(笑)。芸人というのは、来た仕事が今の自分の位置なんだって思ってるのね。端役だとしたら、それが今のそいつの実力なんだよ。TVも呼んでくれるからやる。辞めろと言われたら辞める。面白くないと思われてるのに無理して使ってほしくない。ラジオもその延長だね。

――素晴らしい矜持を伺った気持ちです。

大竹 そりゃさ、“腰いてえな、行きたくねえな”とか“ゴルフ行きてえな”って思ったこともあったよ(笑)。でも、こうやって現に16年、ありがたいことに番組やらせてもらって、毎日毎日ペラペラ喋ってるんだよね。放送局の思惑とかは俺にはわからないけど、今のところ続いているから、まあ局から「辞めてください」って言われたら、「そうですか」って言うしかないなって、そう思ってるよ。

永六輔さんが晩年、ラジオで思うように話せなくなっても、それでも聞く方がいたわけじゃない。永さんがスタジオにいて音を出している、それを楽しみにしているリスナーの方がいるって、すごいなって思ったのね。それって、パーソナリティーとリスナーが一緒になって番組を作り上げていると俺は感じたし、ラジオの特性だなって思ったの。あと、自分の健康状態をさらけ出す、というスタイルであの方はやったわけだよね。終わらせるのを自分ではなく、リスナー側に委ねた。それは近頃すごく考えるね。俺も内蔵をさらけ出しながらラジオをやるかもしれないなって、最近思い始めてるかな。

――その気持ちをお伺いできてうれしいです。大竹さんが昔「ダメなヤツがいるのが社会だろ」って仰ってたことがあって。ゴールデンラジオは、まさに社会においてうまく適応できないダメなヤツにも、優しいラジオだなと思っています。

大竹 リスナーのメール読んでても、“こいつダメだな~”ってヤツがいるんだよなぁ(笑)。

 

プロフィール
 
大竹 まこと(おおたけ・まこと)
1949年(昭和24)5月、東京生まれ。きたろう、斉木しげるとシティボーイズを結成。テレビ番組「お笑いスター誕生」で10週勝ち抜き。映画、ドラマでは俳優としても活躍。