苦手な広島戦で勝利して感謝してくれた吉井さん
しかも、腹の中を探りにくい人。岡田さんは見た目には何を考えているのかわからないんです。言葉も省略が多くて、わかりにくいときがありますが、とにかく勝負に向いてる人です。再び岡田さんが指揮を執る2023年のタイガースは楽しみです。
岡田さんだけでなく、ふと見渡すと、現在の12球団の監督には、縁のある顔がたくさん並んでいます。ヤクルト時代に球を受けていた投手が3人もいます。僕がプロに入って最初に衝撃を受けたのが楽天の監督、石井一久でした。二軍戦で150キロ級をバンバン投げてきて、当時の二軍の球場は薄暗かったので捕るのに必死でした。ストライクさえ入ったら、誰も打てない。「世の中にはすごいやつがいるんだなあ」と思いました。
ロッテの新監督に就任した吉井さんとは思い出の試合があります。古田さんが欠場して、広島市民球場で吉井さんとバッテリーを組んだ試合がありました。吉井さんは広島が苦手でした。
当時の吉井さんは、ほとんどが直球でシュートとフォークが少し、というイメージでしたが、カープ打線はそういう投手が得意だった。なので僕は、苦手なら全然違うピッチングをさせてやろうと、ストレートを少なくして、あまり使っていなかったカーブやスライダーも混ぜて、変化球投手みたいな配球にしました。
初めこそ何度も首を振られましたが、カープ打線が戸惑うのを見て吉井さんも楽しくなってきたようで、やがてうなずいてくれるようになり、次々と打ち取っていきました。試合後に「広島市民球場の広島戦で初めて勝った」と、すごく感謝してくれたのを憶えています。
投げたい球のサインが当たらない高津さん
ヤクルト監督の高津さんは、うなずいてもらえるサインを出すのが一番難しい投手でした。球種は少なく、直球とカーブとシンカーの3種類。そのすべてを内と外に投げ分けるとしてもサインは6つ。それなのに、なかなか一発では当たりません。古田さんとのバッテリーでは、ほぼ首を振りませんでした。ものすごく考えて投げる人なので、古田さんのサインを思い出しながら、自分で組み立てていたのだと思います。
西武の新監督・松井稼頭央は、僕が日本ハムにいた頃に、なんとか抑えようと必死で知恵を絞ったライバルチームの中軸打者でした。スイッチヒッターで、左右どちらかがアベレージタイプで、どっちかがロングタイプというのなら、まだ対処しやすいのですが、左右どちらも打率が高く、ホームランが打てるのですから、本当に手強い打者でした。しかも足が速いので、塁に出すとやっかいです。ただ、盗塁はそこそこ刺した記憶があります。
中日は、ずっと中心選手だった立浪さんが監督ですし、阪神での最終年に一緒だった新井貴浩も広島の新監督になりました。同じ時代に力を合わせ、切磋琢磨した人たちがたくさん監督を務める23年シーズンが今から楽しみです。
最終回は、阪神二番手捕手時代の思い出の投手たちや、他にもたくさんいる同じ時代のすごい選手たちの話、いま僕が考えていることなど、思いのたけを語ります。