この道に進むキッカケは「ますだおかだ」

――放送作家になった経緯を教えてください。

ウノT 大学2~3年生ぐらいから、ハガキを書くペースがおかしくなっちゃって。 あらゆる雑誌に送っていましたし、オールナイトニッポンも当時、6番組くらい小分けになっていたんですけど、その日のオールナイト全番組で採用されるグランドスラムも達成して……。まあ、グランドスラムって勝手に僕が言ってることだし、そんなことしても誰にも認められないんですけど(笑)。

だから、就活もほとんどしていなくて、その代わりにラジオイベントがあったら行って、スタッフさんに履歴書を渡したり、いろんな番組に手紙を送ったりして「作家になりたいんです」とアピールしていました。

なんの音沙汰もなかった2006年ごろ、大学を卒業する月に、急に松竹芸能のマネージャーさんから「(番組にネタを送っていた)ますだおかださんが会いたがっている」と電話がかかってきたんです。何度かライブを見に行って挨拶はさせてもらっていて、僕が作家になりたいこともご存じだったと思うんですけど……。

指定されたMBS(在阪のテレビ局)の楽屋に行ったら、増田(英彦)さんが「“作家になりたい”と言っていたけど、どうなってんの? 大阪でやることあったら手伝ってや」「勉強したかったら、松竹に劇場があるから出入りしていいよ」と言ってくださって。それが第一歩ですね。

松竹の劇場で勉強させてもらって数ヶ月後、増田さんに「上京せーへん?」と言われました。たまたま関係者の人が住む予定だったマンションに空きができたみたいで、半年でダメなら大阪に戻ればいいし、そのあいだに仕事を広げられたら続けられるかもしれないしということで、とりあえず上京しました。

それからいろいろ紹介していただいて、すぐにNHKの番組が決まり、東京にいられるようになりました。その流れでやることになった『着信御礼!ケータイ大喜利』に関しては、数年前まで続いていた番組なので、そういうのも大きかったですね。ますだおかださんは完全に恩人です。

▲放送作家への道を開いてくれた、ますだおかだへの感謝は深い

『オールナイトニッポン』に出演した思い出

――作家になって以降、テレビはもちろん、ラジオ番組にも携わるわけですが、印象に残っている番組を教えてください。

ウノT 現在『KinKi Kids どんなもんヤ!』を担当しているんですけど、この番組は、KinKi Kidsさんがデビューする前の1994年にスタートした番組なんです。関西でも『ABCミュージックパラダイス』(ABCラジオ)という番組の中で箱番組として放送されていて、よく聴いていたんですよ。だから「この番組の作家をやれるんだ」と感動しましたね。

約10年前から番組を担当させていただいているんですけど、担当するにあたって改めて過去の放送を聴いてみたら、 タイトルコールとかエンディングで流れる曲とか、フォーマットが何も変わっていなかったんです。エンディングに「お別れショートポエム」というコーナーがあるんですけど、僕が聴き始めた頃からすでに存在していて、調べたら25年ぐらいやっている。聴いている人にも思い出があるはずだし、(コーナーや構成などは)変えちゃいけないなと思いました。

――仕事をしていて、グッときた瞬間があれば教えてください。

ウノT 山田ルイ53世(髭男爵)さんと『東野幸治のオールナイトニッポン』に出演したことですかね。ラジオをやっている作家なら、“オールナイトニッポンで仕事をすること”に一度は憧れると思うんですよ。これまで、ブースには入らないサブ作家を何度かやったことがあるんですけど、パーソナリティの隣にいるメインの作家は、タイミングが合わなかったり裏番組があったりしていたのでやれてなかったんです。

でも、2020年に東野さんが単発でオールナイトニッポンをやるとなったときに「(山田と)二人で出てください」と言われて(笑)。僕は『髭男爵 山田ルイ53世のルネッサンスラジオ』(通称:ルネラジ)に、作家兼聞き役のようなかたちで出演していたんですけど、番組を聴いてくれていた東野さんが「(『ルネラジ』ごとゲストに呼んで)俺はオールナイトニッポンをやったんだぞ! と二人に見せつけたい」とおっしゃって(笑)。作家じゃなくて演者としてブースに入るという夢の叶え方でしたけど、うれしかったですね。

――ルネラジはいつから始まったんですか?

ウノT 2008年に文化放送で始まったんですけど、1年半ぐらいで地上波が終わっちゃったんです。「Podcastなら続けられます」と言われて、週に1回集まって配信していました。最終的に、過去の音源を売ったり、地方局でネットしてくれたりしましたが、半年くらいはギャラがなかったですね。

――地道な活動もあって、有名人にもリスナーが増えましたよね。

ウノT 東野さん、石野卓球(電気グルーヴ)さん、麒麟の川島さん、爆笑問題の太田光さんなど、皆さん番組の名前を出してくれます。

――ここまで長く続けられた理由は?

ウノT もともと男爵の喋りは面白かったし、達者でしたからね。悩み相談がきても「興味ない」とか、受験生に「落ちても落ちなくても、俺は関係ない」とか(笑)、ラジオで喋る人が言わないようなことばかり言うのも良かったんですかね。

あと、リスナーが他の番組とは全然違うところにいる方たちなんですよ(笑)。まず、年齢層が高いし、みんな病気がち。「痛風」「歯が痛い」とか、病気をラジオネームにしてる人もいます(笑)。成功したんで笑い話になるんですけど、「これから乳がんの手術です。生きてたらメールします」というメールも来るし……他の番組とは全然違う不思議なリスナーだなと思いますね。