けころがした「支度」

そんななか、とくに笑うでもなく、黙って考えている女がいた。

武士は女に頼んだ。

「どうか、みどもの相手をしてくれぬか」

「ためしてみてもようございます。しかし、きょうは無理です。支度をしなければならないので、あす、お越しなさい」

「そうか。では、あす、必ずまいるぞ」

翌日、武士は女郎屋に行き、けころと寝た。とくに支障もなく情交することができた。

感激した武士は楼主に掛け合い、相応の金を出して女を身請けし、妻とした。

寛政の改革で山下の岡場所は取り払われたから、それ以前のことであろう。

けころはどんな「支度」をしたのだろうか。気になるところだが、肝心なことは書き留められていない。

事実と言うよりは、一種の都市伝説であろう。もっともらしい噂として流布した、艶笑譚のたぐいかもしれない。

図3『絵本吾妻抉』(寛政9年)、国会図書館蔵

図3に山下のにぎわいが描かれているが、刊行年からして、岡場所が取り払われた後である。つまり、このなかに、けころはいない。

〇今に残る山下の痕跡

上野恩賜公園
上野の「山」にある、上野恩賜公園(編集部撮影)
「上野公園山下」停留所
停留所に「山下」の名を残す(編集部撮影)

『江戸の男の歓楽街』は次回4/8(水)更新予定です、お楽しみに。