若手を引き上げる戦略で上園と岩田が大活躍

優勝した2005年と翌06年は、さらに出場試合が減り、ともに20試合に達しませんでした。07年は、若返りを図りたいというチーム事情もあり、キャンプから二軍スタートとなりました。矢野さんは38歳、僕は35歳でしたので、次期主戦候補を作っていくのはチームとして当然のことでした。

しかし、僕としてもただ手をこまねいているわけにはいきません。若手投手の球を捕って、会話をして、どうリードすれば一軍で活躍できるかを考えました。心がけたのが、若手とベテランという関係ではなく、対等でいくこと。萎縮させても仕方ありません。教えるべきことは教えなければならないのですから、なるべく力を発揮しやすいように、やりやすいようにやらしてやろう。07年春はそんなふうに過ごしました。

上園啓史はそれがハマりました。5月の交流戦で僕が一軍に昇格。その後、6月に上園が昇格すると、先発した16試合すべて、二軍で受けていた僕がバッテリーを組み、8勝5敗、防御率2.42で新人王を獲らせることができました。その年、能見の初完封も僕と組んだ試合でした。

08年は、開幕から3年目の岩田稔とバッテリーを組んだほか、ボーグルソン、上園、日本ハムから移籍した金村曉らが先発する試合でスタメンマスクを被り、阪神に来て最多の55試合に出場。矢野さんとの併用に近い形になりました。

特に岩田は、この年に開花。27試合に先発して10勝、投球回数169.2回は下柳さんに続くチーム2位でした。前年の上園と同じように新人王に導きたかったのですが、巨人の山口鉄也に及びませんでした。

ユニフォームで現場復帰を目指して勉強中

そのオフ、6年間プレーしたタイガースからベイスターズへFA移籍しました。球団にもチームにも監督にもコーチにもチームメイトにも、不満なことは一切ありませんでした。ベイスターズの正捕手・相川亮二がチームを離れたという事情もありましたが、最後は生まれ故郷の近くで野球をやりたい、という理由のほうが大きかったです。

ところが、移籍後初のキャンプで、いきなり右肩の腱を断裂する大ケガをしてしまいました。せっかく獲得してくれたのに、一番やってはいけないことをしてしまい、本当に申し訳ないの一言でした。

ベイスターズでの2シーズンは、二軍にいることが多くなりましたが、一軍と二軍を行ったり来たりする若い選手たちからアドバイスを求められれば、感じたことを伝えました。

2010年に現役を引退。その後は2017~18年はヤクルトでコーチも経験し、人に伝えることの難しさを学びました。現在は、タイガース戦を中心とした日本のプロ野球と、メジャーリーグの解説をしています。隣に座っている妻からの質問に答えるようなイメージで、野球を知らない人にもわかってもらえるのを目標にしています。なかなか簡単ではありませんね。

もちろん、また現場に戻ってユニフォーム着たいという気持ちはあります。そのときの引き出しが増えるよう、日米、数多くの試合を見て野球を勉強しているところです。長いあいだ二番手捕手だった僕の経験が、これからの時代を担う若いキャッチャーたちに役立つといいなと思います。